|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 戦 : [いくさ] 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight ・ 戦国 : [せんごく] 【名詞】 1. belligerent country 2. country in civil war ・ 戦国時代 : [せんごくじだい] (n) the age of civil war ・ 国 : [くに] 【名詞】 1. country ・ 時 : [とき] 1. (n-adv,n) (1) time 2. hour 3. (2) occasion 4. moment ・ 時代 : [じだい] 1. (n-t) period 2. epoch 3. era ・ 代 : [よ, しろ] 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation ・ 中 : [なか] 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among ・ 中国 : [ちゅうごく] 【名詞】 1. (1) China 2. (2) South-west most region of Honshu 3. middle of a country 4. the Hiroshima area
中国の戦国時代(せんごくじだい)は、春秋時代に続く時代で、紀元前403年に晋が韓・魏・趙の3つの国に分かれてから、紀元前221年に秦による中国統一がなされるまでをいう。この名前は『戦国策』から取られている。 どの時点をもって春秋と戦国の境目とするかは、歴史家の間でも意見が分かれている。詳しくは春秋戦国時代の項目を参照。 == 概略 == === 初期 === 春秋時代末期、晋の有力家臣であった韓・魏・趙の三家が国政の実権を握って国土を分割し、一方斉でも有力家臣であった田氏が実権を握って簒奪を伺った。だが、晋の三家も斉の田氏も古くから続く両公室にとって代わるには正統性に欠けていた。この為、彼らは既に実質的な権力を喪失していた周王に諸侯として認めて貰う事で正統性を確保しようとした〔吉田亮太『春秋戦国政治外交史』三恵社、2014年、P66-71。なお、吉田はこの他に正統性を確保する方法として覇権国(覇者)の承認を得る事も考えられたが、中原には(本来であれば晋か斉が該当する筈であった)覇権国が存在しないのと同じ状態であったため、この選択は取りえなかったとする。〕。紀元前403年に晋の三家が諸侯として認められ(三晋の成立)、紀元前386年には斉の田氏が諸侯として認められて斉の公位を簒奪した(田斉の成立)。紀元前376年には三晋諸国が未だに小諸侯として存続していた晋を最終的な滅亡へと追い込んでいる。 戦国時代の初期に覇権を握ったのは、晋から分離したうちの一つの魏である。魏が周王朝より諸侯として正式に認められたときの魏公・文侯は積極的に人材を求め、李克・呉起などを登用して中山国の都を陥落させるなど、魏を最強国とした。息子の武侯の時代にも覇権は続き、さらにその子の恵王の時代には、諸侯の間で初めて王の称号を使うなど、強勢を誇ったが、斉の孫臏の軍略により大敗したことを契機として、凋落の道をたどる。 そもそも魏が強勢となれたのは、魏の支配領域が周代より文化の中心地とされた中原の中央であり、最も開発が進んだ地域であったからであった。それは一方では周辺諸国からの侵攻を受けやすいということでもあり、開発の余地が無いということでもあった。後方に広大な未開発地帯を持つ斉や秦などが台頭してくると、魏は覇権の座から滑り落ちた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「戦国時代 (中国)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|